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神楽坂 江戸の物流ターミナル 隅田川~山の手 運河の終着駅 [神楽坂]

おはようございます
今日は神楽坂の昔の話をします

江戸時代
重い荷物を運ぶのは船を使っていました
水に浮かべると軽くなるからです
江戸市内に網の目のように掘割が張り巡らされた様子を
「東洋のベネチア」と呼ぶこともあります

神楽坂は、隅田川→山の手の、船の終着駅でした

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まず、山の手とはどのエリアか、という話をします

黄色いところが山の手です 武蔵野台地といいます
000061644 山の手は黄色 下町は青色.jpg引用元 国土地理院
詳しく言うと
黄色いところの、かつ、江戸市中、それが「山の手」です

江戸市中とはどのエリアかという問題なんですが
お城に歩いていけるエリアを江戸市中とするなら
皇居から半径4~6㎞くらいの円内かなー・・・
と思って地図を見ると
山手線がピタリそれに当てはまります

上下はちょっとはみ出していますね
日暮里から上はあまり人がいなかったようです
品川から下は街道沿いだったようです

では下町はどうでしょう
向島百花園、亀戸天神、木場
ここいらへんまでが江戸市中
そこから先は、村、あるいは海だったようです

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さて本題、神楽坂がどこにあるかというと・・・

中央の巻貝のような内堀が皇居です
その左上、環形動物のような外濠があります
この右端が神楽坂下です
神楽坂下交差点 ←クリックするとグーグルマップが開きます
000061812 拡大図 皇居 神楽坂.jpg引用元 国土地理院
右下の太い川が隅田川です
隅田川から二本の川が神楽坂に向かって伸びています
上は神田川
下は日本橋川です

隅田川上流からは内陸の物資が
下流からは海路からの物資が
二本の川を遡ってきた物資がここで荷揚げされ
台地の坂上に担ぎ上げられました

「揚場町」とか「軽子坂」とか「船河原町」とか
当時の賑わいを連想させる地名が残っています
軽子とは荷物を担いで運ぶ人のことです

物資だけでなく人も運びました
夏目漱石の家の女性たちが浅草に行くときは
朝早く起きて早稲田から神楽坂まで歩き
船宿でかねてより頼んでおいた屋形船に乗り
神田川を下って柳橋から隅田川
隅田川を遡って浅草に遊びに行ったそうです

神楽坂から奥は谷間になるので堰が必要になり
船は神楽坂下までしか入れませんでした
牛込御門の堰 320.jpg
この石垣の一部と堰はJR飯田橋駅西口で今も見ることができます
※この写真は大江戸歴史散歩を楽しむ会から頂きました

外濠をクローズアップします
国土地理院から頂きました 神楽坂と皇居 320.jpg引用元 国土地理院
右上、川が途切れているように見えますが
下では続いています(暗渠)
川にふたをして商業施設(飯田橋ラムラ)を乗せています

外濠の堰は土橋としていまも利用されています
市ヶ谷駅前にも、堰を兼ねた土橋があります
ここは市ヶ谷御門、市ヶ谷見附があった場所です

市ヶ谷の先、四谷に向かう谷間は昔は外濠でした
今は埋め立てられて公園になっています
その前は、美しい蓮池だったそうです

飯田橋~市ヶ谷、外堀公園の桜は有名ですが
市ヶ谷~四ツ谷、ここも桜並木があります
道幅も狭く、土の道で、ひっそりとした雰囲気ですが
こちらの方が風情があります
往時をしのぶにはとても良い散歩道だと思います
この公園の入り口はJR市ヶ谷駅の横
みずほ銀行の角を曲がって少し歩いたところです

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